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平行世界と時間跳躍 [コラム]

 さて、ない頭で無駄に考察するボクのコラム(ぇ 大した意味など持ち合わせない代物だが、ネタの1つとして書いていくのもありかな~と書き綴っているわけだが。
 毎度大した閲覧数にはならないから、実質的に閲覧してる人って、片手の指で数えられそうなんだけどね(笑)。ま、過疎blogなんてそんなもんだろう。

 今回は前回の続きという感じ。前回は『今更時間跳躍について考える』だったのだけれど、ここで持ち出した概念が「平行世界」だ。「並行世界」とも表記される、所謂「パラレルワールド」
 タイムスリップというものを、大した意味もないと分かりつつも考察するとき、理論的な破綻を回避するために出てきた概念とも言えるもの。
 しかして、存外その存在自体は真面目に「あるかもね?」とか言われてたりもするらしい。そういう本気の研究は学者連中にでも任せるとして、ボクなりに考えてみることにする。

 さて、まず平行世界というのは、要するに可能性の世界だ。世の中には「あのときこうだったら」なんて選択肢がいくらでも存在するわけで、その可能性の数だけ世界が存在する。
 前回の時間跳躍における考察でも、この概念は不可欠のものだった。世界の事象は因果律に縛られるのだから、平行世界の概念を持ち合わせない状況では、時間跳躍そのものが成立しない、ということ。難しげな言葉を並べると分かりにくいところだが、実際にはそう難しいことではない。

 要するに、「時間跳躍しよう」と思い立つには、何某かの「理由」が存在する。そして多くの場合、その理由となるものを解決するために時間跳躍を行うだろう。
 だが、理由を解決してしまい、理由が発生しない未来が形成されたとき、平行世界の概念がなければ、理由が消滅することを意味する。理由が消滅すれば、行動も消滅する。結果、時間跳躍そのものが行われなくなるのだから、理由が発生しない未来は形成されなくなる。
 つまりは、全てがキャンセルされた状態になってしまうわけで、理論として成立しない。では、時間跳躍しても何もしなければ成立するのだろうか?

 おそらくはノーだ。時間跳躍を行った時点で、元の世界とは絶対的に違う世界となる。過去へ戻るときなどは顕著で、例えば「同じ人間が2人いる」とかいう状況が生まれる。
 時間跳躍を行わなければ絶対に起こり得ない事象であり、つまりは平行世界に迷い込むこととなる。しかして、その概念を良しとしないのであれば、2つの世界が存在できない。
 つまり、時間跳躍を行う前の世界と、時間跳躍を行った後の世界と、どちらかしか存在しなくなる。アクティブがどちらかといえば、無論時間跳躍を行った後の世界だが、そちら「のみ」残るとすれば、時間跳躍前の世界が消滅してしまう。結果、やはり原因が消えてしまうわけだ。

 平行世界の概念を取り入れることにより、世界はいくつも存在し得るとなって、時間跳躍が成立することも可能になる。その際、1度過去に戻ると、二度と元の世界には戻れないことは前回も書いたので割愛するとしよう。とにもかくにも、別の世界へ行ったら戻ってこられない。

 さて、こうした平行世界だが、よく物語で使われるような「可能性の世界」である、というのは本当だろうか? 無論、理屈の上では間違いないだろうが、そう便利なものではない。
 上記にあるように、時間跳躍を考える上で不可欠な概念であり、無数に存在し得る世界と書いてきたが、実際には「ない」はずなのだ。
 平行世界は存在するが、世界は1つしかない。明らかに矛盾するようだが、これが結論である。何のことかさっぱりという感じだけれど、頭が狂ってるわけではない(笑)。

 時間跳躍で見るところの視点は、実に主観的だということだ。可能性といえば、それこそ数多であり、無限大存在する。そして、それは何も自身や人間のみならず、「存在」に対して数限りなくあり得ることを意味している。同時間軸であれば、ほんの微細なことでも「別世界」だ。
 全宇宙的な構成要素として、原子1つだけ違うなんていう場合ですら別世界なのだから、膨大などという言葉では表せない数なのは疑いないだろう。

 しかして、その可能性はどの場合であり得ることだろうか? 「もしもこうだったら」の「もしも」とは、如何なる理由によって成されることだろうか?
 先にも述べた通り、原子1つに至るまで、世界の構成要素は全宇宙規模で決まっている。だとすれば、その「どこ」に「if」の介在する余地があるのだろう。
 時の流れという線を、もしも客観的に見ることが出来たとすれば、何度見ても同じ原因で同じ結果に行き着くはずなのだ。
 事象というのは、原因と結果から成り立ち、その積み重ねが時なのだから、そこに「もしも」が存在するはずがない。必ず原因となる何らかの「力」が必要になる。時間跳躍とかね。

 要するにどういうことかというと、勝手に歴史が変化するということはないということ。あり得ないことだが、時の外側で自分の1日を見ることが出来るとしよう。
 本日2010/02/19のボク、という部分が「見るたびに変化する」なんてことはない。同じ世界の話であれば、絶対に変化しない。変化したときは、別の世界に分岐している。
 もしも、そんな分岐が起こってしまうとしたら、例えば時間跳躍で過去に戻るたびに全部違うことが起きるとかがあり得てしまう。
 こんなことして後悔した!やり直したい!と過去に戻ったら、「自分」なんて存在しなかった、とかね。これは大げさな例だが、理論的にはあり得る話だ。

 だから、何らかの力を加えない限り、分岐などあり得ないはずである。運命が決まっている、というのはこういう部分を言うのだろう。
 事象は因果律に縛られるものであって、その時その時における出来事とは、全て何らかの結果としての集大成が原因となり、新たな結果になっていくものだ。
 だから、時の外側から時の流れを見ることが出来るとしたら、その流れは常に1本。分岐の力が働くような出来事があり、分岐元となった世界も存在し続けるものの、それは「死んだ世界」とも呼べるところ。視点を過去へと戻し、その分岐点の通過を「見る」としたら、常に新しい分岐先へと続く。

 平行世界は安易な世界ではなく、別の世界へ触れるということは、新たな平行世界の誕生を意味し、しかして世界はたった1つしか残らない。
 夢のない話ではあるが、真面目に考えていけば、平行世界というものがそう都合のいいものでないことは確かだ。SFとかの物語ではよくある話だが、結構いい加減な設定である。

 今のジャンプとかだと、リボーンだっけ? アレが平行世界だとかタイムスリップだとかの話になってるけど、本来理論的には絶対にあり得ないしね(爆)。
 最も単純に考えてみよう。本来あるべき時間軸、つまり、劇中の「現在」から10年後の「未来」にタイムスリップして今の話になってるよね? なのに、そこには「10年後の自分」が存在してたりする。普通に考えて、コレは無理な話だ。まぁ、少年誌にツッコミ入れんなって話だけど(ぁ

 当たり前だが、「現在」から「未来」にタイムスリップした場合、「現在」の自分が「未来」に移動する。じゃぁ、視点を「未来」ではなく「現在」に向けたら?
 これも当然、「現在」の存在が「未来」に行っちゃったんだから、「いなくなる」わけだ。そのまま10年経とうが「いない」ことに変わりはない。
 だから、本来10年後の未来では「10年前忽然といなくなった人が突如現れた」ことになる。だから、10年後の未来に10年後の自分なんているハズがない。
 これを可能にするには、方法論は無視するとして、「現在」と「未来」を平行世界の関係として移動する必要がある。世界Aの「現在」から世界Bの「未来」へ飛ぶ、とかね。
 まぁ、そうなると単純に「過去」へ戻ると、世界Bの自分が既にいるとかなるので、世界Aの「過去」に戻らないといけないとかになる。
 どちらにせよ、「平行世界」というものをいい加減に考えてるから成立する論理であって、現実的にはあり得ないことだというわけだ。

 逆にいえば、平行世界というのは、「時の流れ」に「if」の「力」を介在させたときのみ発生し得る。つまり、「時間跳躍」という概念が現実でない限りは存在し得ず、時間跳躍が「ある」としたら、「時の流れ」という現象が確定することを意味するのだ。
 どういうことかといえば、「未来」は確定しているということ。時間跳躍を行った瞬間分岐はするが、その条件のもと、全ての事象は原因と結果の連鎖を重ね、それが未来を形作る。「if」の介在なしに分岐しないとすれば、その時の条件によって得られる結果は一定。
 だから、どれだけ「if」があったとしても、「時の流れ」はその都度確定し、たった1つになる。故に平行世界は存在するが、世界は1つだけなのだ。
 実行するたびに違う結果になるなんてランダム要素は、「時の流れ」が確定する以上は起こり得ない。だから、「if」を介在させたときにしか発生しないハズである。
 しかも、「時の流れ」が確定するということは、「時間跳躍を行うこと」という未来も確定している。とすれば、「if」が発生するのは常に「過去」だ。「確定した要素」に対して働きかけるときのみ発生し得るわけで、当然といえば当然のことではある。

 まぁ、何にせよ「可能性の数だけ存在する」なんて都合のいいものではないのは確かだ。人間は時間が可逆でないからこそ過去を悔いるわけで、その念が作り出す幻想なのだろう。
 時間跳躍が出来るとしても、過去に戻れば平行世界が出来上がった上、二度と元の世界には戻れないし、過去に戻ろうと思った原因を解決てしまえば、「自分」が2人居続けることになる。
 本当に夢のない話ではあるが、真面目に考えていくと時間跳躍及び平行世界はこんな結果に行き着いてしまうわけだ。
 とりあえず、タイムスリップだの平行世界だのといった話の出てくる物語を見たら、夢のある話として許容すべきところなのだろう。あまりツッコミいれてはイケナイってことで(ぇ

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コメント 2

mars

別に時空跳躍に「過去を変えたい」とかの理由って全く要らない気がするのだが。何か「科学的思考」を強調する文系SF人間みたいな思考をしますね…。
例えば電動機の発明自体発電機に間違って電気を流す配線をしてしまい、その後で理論づけた訳で実用が理論に先行する事は幾らでもあります。「理論的に絶対無いから無い」というのは科学的に考えたらそれこそおかしな言い方になります。加えてプランク定数みたいな定数が自然現象にはそこらへんに溢れてるので「任意に飛べない」とか、パラドックスを起こして戻って来たけど「記憶の思い違い」程度の変化しか起こってなかったとか幾らでもあり得る。
「平行世界」の範囲も宇宙全体とかじゃなく自分の住んでる町ぐらいしか同時並行してなかったりというのもあり得る。
仮にワープ望遠鏡で宇宙の果ての先の自分のケツが見えたとして、それが別宇宙の自分に似た人なのか平行世界の自分なのかはそれこそ考え方の問題だけになる。
そもそも3次元空間の構成すら怪しいもので、物質とかエネルギーと呼んでいるもの自体実は有限時間の繰り返し中に同時並行的に存在しているものだったと考える事も無理矢理やってやれなくない。

by mars (2010-10-10 12:01) 

Metter

>marsさん

わ、まさかボクのくだらない垂れ流しにコメを戴けるとはビックリです(ぁ
実際、ボクなんてのは大した脳味噌の持ち主ではないので、雑魚の戯れ言程度に
思っていただければ(笑)。

まぁ、実際理屈は知らないが出来るモンは出来るってことはあるのでしょうし、今知り得ていない
「何か」が上手く作用することだってあり得るわけですしね。
科学を探究するという意味においては、そうした可能性を捨てて考えるのは論外というか、
「ない」と結論付けるには情報が足りないというのは分かります。

所詮、アホな人間が、今ある情報から妄想を垂れ流している程度のことなので、
こんな考えをしているアホもいる、ということで。
コメントありがとうございました♪

by Metter (2010-10-10 13:12) 

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